はじめに

「温故知新」という言葉があるように、古きを訪ねて新しきを知ることは、いつの時代にも繰り返されています。

第2次世界大戦前から戦後にかけて、日本のグラフィックデザインの礎を築いてきたしてきたいわゆる「レジェンド」と呼ばれるグラフィックデザイナーたちは、どのように活躍し、今の時代にどう影響を与えてきたのでしょうか。

原弘(はらひろむ)氏

1903年生まれ。長野県出身。
東京府立工芸学校印刷科(現・東京都立工芸高等学校)を卒業後、同校の教諭をしながら東京印刷美術家集団を結成。

日本工房、中央工房、東方社を経て、造形美術学園(現・武蔵野美術大学)など美術関連の教授を歴任。日本宣伝美術会、日本デザインセンターの創設にも携わる。東京・札幌オリンピックの委員なども務め、数々のデザインを手がける。

代表作品:坂口安吾「堕落論」の装幀、花王石鹸パッケージ、平凡社「世界大百科事典」装幀、フジネットワークのシンボルマークなど

近代タイポグラフィー運動を支持、研究。印刷知識を活かして写真と文字を組み合わせたデザインを発表し、注目されたそうです。

デザインスタイルは作家性のあるものではなく、本の装幀、ポスター、パッケージなどを多数手がけました。

特に、装幀においては高く評価されており、「ブックデザインの天皇」と評されることもあったそうです。

また、デザインに用いられる「紙」にも早期から着目しており、紙商社と洋紙の開発を行うなど、「日本の印刷のパイオニア」であるとも言えます。

「日本デザインセンター」の創設メンバーでもあり、1969年には代表取締役社長に就任。デザインと広告の牽引役として幅広く活躍したグラフィックデザイナーです。

亀倉雄策氏

1915年生まれ。新潟県出身。
旧制日本大学第二中学校(現・日本大学第二高等学校)にフランスのグラフィックデザイナー・カッサンドルのポスターに衝撃を受け、グラフィックデザイナーを志す。

新建築工芸学院に進学。卒業後日本工房に入社し、アートディレクションやエディトリアルデザインを手がける。日本宣伝美術会、日本デザインセンター、日本グラフィックデザイナー協会の創設にも関わっている。

代表作品:東京オリンピック(1964)シンボルマーク、EXPO’70ロゴマーク、グッドデザイン選定マーク、NTTロゴマーク、Nikonロゴマークとカメラデザイン、TDKロゴマーク、明治製菓(旧)ロゴマークなど

1960年代初頭、日本デザインの大きな転換期に「デザインで世の中を動かす、変える」と語り、日本デザインセンターの創設、日本初の世界デザイン会議の開催、東京オリンピックのポスター製作を実現しました。

亀倉氏のデザインに対する考え方は「ポイントを集約させ、装飾をできる限り削ぎ落とす」いわゆる「デザインの引き算」にあり、装飾を徹底的に削ぎ落とし、シンプルで本質を目立たせるデザインを多数生み出してきました。

デザインの概念がはっきりといていなかった時代に、「デザイン」という言葉を定着させた第一人者が亀倉氏であると言えるでしょう。

私たちの生活に馴染みが深く、一度見たら忘れないロゴマークやポスターは、日本のデザイン界に大きな影響をもたらしています。

田中一光氏

1930年生まれ。奈良県出身。
京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)卒業。

カネボウ、産経新聞社を経て、日本宣伝美術会会員になる。日本デザインセンターの創立にも参加し、企業広告のデザイン、アートディレクションを中心に活躍。昭和期を代表するグラフィックデザイナー。

代表作品:西武百貨店包装紙、無印良品総合デザイン、ロフトロゴマーク、つくば万博ロゴマークなど

シンプルでバランスの取れた色使いのデザインが特徴で、「MUJI無印良品」や「LoFt」言ったロゴを見れば、多くの人々に親しまれるデザインを手がけていたことが分かります。

大和絵の影響が大きく、作品を発表することにより間接的に江戸時代の「琳派」の作風を現代に紹介することとなったと言われています。

和のモチーフをモダンに表現するのが特徴で、かつシンプルな図形とインパクトのある色づかいは、一度見たら忘れられないデザインです。

また、ロゴデザインは空間のバランスがしっかり考えられており、一見簡単そうに見えますが、実は緻密に計算されているものです。多数のヒット作品を生み出してきた田中氏のデザインを研究することは、グラフィックデザインを学ぶ上でとても重要なことではないでしょうか。

横尾忠則氏

1936年生まれ。兵庫県西脇市出身。
神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、ナショナル宣伝研究社、日本デザインセンター入社。

三島由紀夫、篠山紀信などさまざまな芸術家たちの影響を受け、画家に転身。自身の独特な死生観を表現した作品を多数手がける。

代表作品:サンタナ(アルバムジャケット)「ロータスの伝説」「Amigos」、マイルス・デイビス(アルバムジャケット)「アガルタ」、松任谷由実(アルバムジャケット)「THE DANCING SUN」、貴ノ花、千代の富士の化粧廻し、宝塚歌劇団のポスター、JR加古川線ラッピング電車など

幼少の頃より絵を描くことが好きで、少年誌に漫画を毎月投稿していたそうです。また、幼少期を過ごした兵庫県西脇市は、播州織という綿織物の特産地であったため、織物や反物がデザインや絵画に深く影響したと言われています。霊感が強く、幼い頃より超常現象を体験したことが独特の感性を持つきっかけになったというのも、デザインや絵画に象徴されているのではないでしょうか。

デザイナーとしては、高校時代に通信教育で挿絵を学び、油絵やポスター制作を始めます。個展活動を評価され、神戸新聞社に入社後は、大阪のナショナル宣伝研究社を経て日本デザインセンターに入社し、東京で数々の作家や俳優、アーティストの影響を受けます。

中でも1970年の三島由紀夫の自決により大きな衝撃を受け、インド行きを決意します。精神世界に没頭していた時期もあり、その影響が色濃く出ている作品も数多くあります。

グラフィックデザイナーに留まらず幅広いジャンルで活動しており、「暗夜光路N市」シリーズでも表現されるように、立体での表現も取り入れています。また、作品だけでなく横尾氏本人のメディアの登場頻度が高く、映画やテレビドラマに出演したこともあります。

さらに、1980年代にニューヨーク近代美術館での「ピカソ展」にインスパイアされ、「画家宣言」をし、作品の幅を広げました。
兵庫県神戸市、西脇市、香川県豊島に美術館があり、多数の作品が展示されています。グラフィックデザイナーなら一度は訪れてみたい美術館です。

まとめ

印刷、タイポグラフィー、ロゴ、ビジュアルなど、感覚だけでは人々を感動させることはできません。

グラフィックデザイナーがしっかりと論理的に表現でき、多くの人の心を掴めるよう道を開いてくれたのは間違いなくグラフィックデザイナーの「レジェンド」たちです。

新しいデザインだけを追求するのではなく、先人たちの作品を研究することで、かつてのデザインの素晴らしさを再認識し、新しいアイディアを発見するきっかけになるかもしれません。

稼いでいるグラフィックデザイナーの共通点は「売れる文章が書ける」ということ。

キレイなデザイン、カッコ良いデザイン、可愛いデザイン。
そんなの素人でも作れる時代ですよね。

フリーランスのグラフィックデザイナーが生き残るには、
「販売に繋がるデザイン」ができることが必須です。

「販売に繋がるデザイン」の本質は
「売れる文章」を書けるようになり、
その文章に合った世界観のデザインを施すということ。

あなたはどうでしょう?

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